麻薬の歴史に興味があるという方は、クン・サ(クンサー)という人物名を耳にすることもあるのではないでしょうか。「麻薬の世界で有名なクン・サとは一体誰なの?」と思っている方のためにお伝えすると、クン・サは麻薬市場に大貢献した麻薬王とも呼ばれる人物なのです。
今回はそんなクン・サーがどのような人物なのか、その生い立ちを踏まえてご紹介します。クン・サーが麻薬市場とどのように関わってきたのかという歴史も解説していますので、興味のある方はぜひ最後までご覧ください。
クン・サ(クンサー)はどのような人物?
まずはクン・サ(クンサー)はどのような人物なのかをご紹介していきます。
アジア・ミャンマーの麻薬王
クン・サは麻薬市場の成り立ちに深く関わっている人物で、「アジアの麻薬王」もしくは「ミャンマーの麻薬王」と呼ばれることがほとんどです。麻薬市場で莫大な利益を生み出した経歴を持ち、黄金の三角地帯を作り上げた当の本人でもあります。
タイ・ミャンマーの国境にて暮らしていたシャン族解放組織の指導者でもあり、独立国家「シャン邦共和国」を作るべく奮闘しました。目まぐるしいほどのスピードでさまざまな活動を行ってきたため、クン・サなしでは麻薬市場の成り立ちを語れないというほど歴史に深く名前が刻まれています。
クン・サの生い立ち
クン・サは1933年にシャン族の母親とコーカン族(第93軍兵士)の父親との間で生まれました。シャン族はタイ系諸族の1つで、コーカン族は中国の国共内戦で敗北を重ねた国民党軍の一部である第93軍兵士がミャンマーへ移住することで形成されました。
そのためコーカン族は「第93軍兵士」とも呼ばれ、中国から国土を奪還すべく武装を続けました。その際に資金集めとして「アヘン」が用いられており、これが後のクン・サ麻薬王までの歴史へと結びついて来るのです。
クン・サと麻薬市場の歴史
クン・サがどのように麻薬市場と関わってきたのか、その歴史を見ていきましょう。主な事件に焦点を当てながら順序だてて紹介します。
1953年〜軍閥を作ってアヘン利権をめぐる闘争へ
若くして両親を失ったクン・サは1949年にシャン州の国民党軍に18歳で入隊し、すぐに反乱を起こすも失敗に終わりました。そして数年間ものあいだ山にこもって放浪していたとのこと。
1953年になったある日、シャン州の国民党軍はわずかな兵士を残して台湾へと撤退しました。それに伴ってビルマ政府はシャン州の間接統治へと動きます。同時にクン・サも軍閥を作り、アヘン利権をめぐる闘争へと動き出すことになるのです。中国の支援を受けたビルマ共産党に対しクン・サの軍閥は勢力を拡大していたため、徐々に危険視されるようになっていきました。
1969年〜逮捕から釈放まで
徐々に勢力を拡大していくクン・サ軍閥に対し、ビルマ政府は目をつむることができません。ビルマ政府は1967年の阿片戦争(クン・サの麻薬輸送隊vs旧ラオス王国軍)をきっかけとして、1969年にクン・サ逮捕へと動きました。
クン・サ軍閥の残された参謀はソ連の医師を人質に取ることで、クン・サの釈放を目指します。この時軍閥はシャン族による自治を掲げて「シャン州解放軍」と名乗り、見事1973年にクン・サ釈放を果たしました。釈放にはタイ政府の支援があり、これをきっかけにタイ北部へと拠点を移します。
その後アヘンの原料となるケシなどで資金調達をしたシャン州解放軍は、ゲリラ活動が活発化するタイ共産党の討伐に参戦する形となります。
1985年〜モン・タイ軍を結成して黄金の三角地帯を形成
1985年にタイ共産党を打ち破ったタイ軍はクン・サの軍閥を用済みとし、それまで味方だったにも関わらず攻撃を仕掛けます。クン・サの軍閥はこれに対してタイ国境に位置するビルマ領内のホモンへと拠点を移しました。
その後シャン族・モン族の独立運動を目的としたモン・タイ軍を結成し、本格的に麻薬ビジネスへと立ち上がります。この時モン・タイ軍はタイ・ラオス・ミャンマーに麻薬製造の拠点を置き、後に黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)と呼ばれる世界最大の麻薬市場を形成しました。
密造ではあるものの麻薬の大量生産に成功し、黄金の三角地帯は麻薬市場の半分以上を占めるようになります。
1993年〜独立国を作るも内乱が発生
政府は黄金の三角地帯に対して麻薬の取り締まりを強化し、それに反発するモン・タイ軍は激しくぶつかりました。しかしこの頃ビルマ政府はシャン州の少数民族とすでに和平の約束をかわし、アメリカ政府も麻薬取り締まりを強化し始めています。200万ドルの懸賞金を伴う国際手配となったクン・サは世界中で追われる身となってしまいました。
そこで1993年にクン・サは「シャン邦共和国」と名乗る独立国家立ち上げへと乗り出しました。クン・サにとっては自身を大統領とする理想国家だったわけですが、シャン族はこれに対して違和感を抱きます。結果、1995年にはモン・タイ軍の中で内乱が発生し、クン・サの夢は野望で終わってしまいました。
1996年〜モン・タイ軍を解散して投降
1996年になると、クン・サはモン・タイ軍を解散してミャンマー政府へと投降します。その後はミャンマーの首都ヤンゴンで生活し、麻薬で得た資金を元にして合法的なビジネスへと動きます。
宝石などを扱うクン・サのビジネスは大成功を遂げ、ミャンマーからタイにかけての大規模事業を扱う財閥へと成長しました。波乱万丈の人生だったクン・サでしたが、最後には著しい活躍を遂げた人物として歴史に名を刻みます。
アメリカ政府はクン・サの身柄引き渡し要求をし続けますが、これに対しミャンマー政府は拒否を続けて擁護したそうです。クン・サは2007年ヤンゴンにて亡くなるまで、大きな貢献をもたらしました。
クン・サは黄金の三角地帯を作った麻薬王
クン・サは、現在の麻薬市場の基盤を作ったと言って良いほど、大きな活躍を遂げた人物です。アジアの歴史として有名な「黄金の三角地帯」はクン・サによって成されたものであり、もしクン・サが存在しなければ医療用大麻やCBDの流通すらもなかったかもしれません。
まるで悪人のように扱われたクン・サですが、最後には合法ビジネスで財閥を作り上げるまで至っています。クン・サは麻薬市場においても歴史上においても、大きく活躍した偉人であったと言って良いでしょう。
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